朝日山 341m
2009年5月3日(日) 曇り
コメント 小千谷の小学校で遠足に行く山。戊辰戦争の遺跡が残る山。大人で1時間程度で登れる山なのでファミリー登山に最適。恢興之道という山道も出来た。車道と周回すればなお面白い。
時間 画  像 説  明
1 am
9:38
浦柄神社駐車場。
駐車場で支度をした後、浦柄神社に参拝し安全祈願をする。神社から戻る途中の写真。右が浦柄集落へ、左が朝日山への道。駐車場は前より広くなったようだが、他に1台しか停まっていなかった。
2 am 9:49 分岐。
左矢印の朝日山への標識あり。左折する。地震後の2006年5月には、車道があった事が判らない程の崩落を起こしていた。今日は新たな舗装になり、正面にはワッフルのような崩れ止めをした斜面が見える。今まではここを直進していた。
3 am 9:51 恢興之道始まり。
地元有志のお陰で作られた登山道。自分も始めてのルート。一部だとしても車道だけでなく山道を歩けるのは有り難い。山野草、山菜が豊富。田畑があるが一部しか作られていない。
4 am 10:08 車道に出る。
幾つかある東軍兵士の墓の前に出る。ここからは標識の通り左折する。また車道を行く。恢興之道では風魔氏の山菜の講釈を受ける。
5 am 10:10 カローラバン。
道端にあるこの車は、最初は自走してここまで来たのだろうが、今はこんな姿をさらしている。恥ずかしいから見ないで、と言っているように草をまとっている。
6 中越地震前 同じカローラバン。
2002年7月の姿。
まだこの頃は物置として使っていたようだ。屋根の上の波板がまだ使うぞ、動かなくても現役だぞという意思を感じさせる。
7 中越地震後 同じカローラバン。
2006年5月の姿。
地震後1年半が経つのに道は崩落したままで、畑や養魚池を営む事も出来ず、物置としても使えず放置された。屋根は潰れドアは閉まらなくなっていた。
8 am 10:38 朝日山頂上。
通行不可だったはずの道だったが頂上の駐車場には軽乗用車が停まっていた。通れるようになったのか。朝日山休憩展望所の建物内では登山(ドライブ)客が1組休憩中だった。この後も登山客は数組で少なかった。