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朝日山 341m |
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2017年5月23日(火) 晴れ後曇り |
コメント |
2004年の10月に起きた中越地震の震源地に近い朝日山は大きな被害を被った。2006年の5月に両手両足を使って大崩落を乗り越え上ったが、今日は何事も無かったかのような山があった。 |
順 |
時間 |
画 像 |
説 明 |
1 |
am
10:18
着
am
10:25
発 |
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浦柄神社。
駐車場には中越トレッキングマップという新しい看板が立っていた。この中には「恢興の道」は無かった。このパワーショベルは14時30分頃に戻って来た時には無かった。 |
2 |
am
10:41 |
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車道分岐。
左から上って来て、標識の通り右へ直進。ここで写真奥に左折すれば「恢興の道」の入口があった。結局往きは車道から頂上へ上る。この先の日陰で最初の休憩。 |
3 |
am
11:01 |
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切り通し。
中越地震後の2006年5月に来た時には、左斜面が崩れ何本も木が倒れていたが、完全に復旧されて別の場所に来たようだ。あの時は道が無くなり崩れた斜面を直登した。 |
4 |
am
11:08 |
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集水枡?
この辺りは中越地震で大きく崩れたが何事も無かったかのようだ。車道分岐(左へ)の先のカーブにある円筒形の網の蓋。中から水音が聞こえる。この先の日陰で2度目の休憩。 |
5 |
am
11:26 |
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復興記念碑。
「中越大震災 発生後十年目復旧事業 朝日山道路 復興記念碑 平成二十六年十二月吉日」とある。中越地震があった事を記す唯一のもの。 |
6 |
am
11:28 |
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恢興の道分岐。
この道を歩いてここから出てくるはずだった。帰りはここを下ろうと言うと道を見て難色を示すバーラーさん。結局帰りはここを下る。車道が復旧して必要が無くなったのか道は荒れ気味だった。ここにも東軍兵士の墓がある。 |
7 |
am
11:30 |
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カローラバン。
最初に見たのが2002年の7月。その時はまだ物置として使っているようだった。廃船は海に沈められて魚の住処となるが、廃車は山に捨てられて何になるのか。 |
8 |
am
11:43 |
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東軍兵士の墓。
新鋭の武器と倍の軍勢の西軍が奇襲をかけたが、東軍は耐えたという。激しい戦いを表すようにあちこちに墓がある。 |
9 |
pm
12:04 |
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朝日山駐車場。
直前に青い小型ダンプが上って来てすぐ帰っていった。昼寝をするつもりだったのか。道は狭いがここまで舗装。でもフィットだと腹を擦りそうな急傾斜の急カーブがある。 |
10 |
pm
12:06
着
pm
13:00
発 |
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朝日山休憩展望所。
建物の中で昼食。風が吹き抜け涼しい。食後に屋上へ出て眺望を楽しむ。ずっと晴天続きなのに何故か信濃川が茶色く濁っていた。給水タンク(使用停止)の上にカメラを置いて記念撮影。写りが悪い。 |
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