焼山こがれ。
92
     2009年9月21日の気持ち

       2009年9月21日
    頂上手前のピークから
    焼山で一番高い所を望む。
頂上を表す三角点の石柱は、その先の馬の背の部分にあった。3年前に登山禁止解除になった山で、しかも行程が長い山にしては登山客が多い。ファンが多いという事か。
 登山禁止解除から3年。登ろうと思ってから2年。地図を眺めながら、道は、登山口は、坊坊抱岩は、泊岩は、頂上はどんな風になっているのだろうと想像していました。その想像と現実が一致する日が来たのです。あまりに想像し過ぎていたから、現物を見てガッカリした?いえいえそんな事はありません。想像通りだったものや想像以上だったものがあります。
 天候はこれ以上は望めないほどの好天気で、近くの日本海や周りの山々、遠くの北アルプスも見えました。持って行った双眼鏡も久し振りに活躍(といっても10倍ですが)出来て、近くの金山には見えませんでしたが、火打山や雨飾山の頂上に大勢の人が見えました。高谷池ヒュッテは肉眼でも見えました。
 体調も良好で、青海黒姫山の鉱山道路を思わせる最初の難敵コンクリート林道も快調に飛ばしました。そんな中で失敗というのは1リットルのプラ水筒に水を入れてくるのを忘れた事です。他に500ccペットボトル2本の水と500ccのジュース1本を持って来ていたので何とかなりました。水筒はいつも2気室のザックの下の方に入れるので、頂上でお湯を沸かす時にパンパンになっていた水筒を見て空気を入れて来た事に気付きました。でも、秋で助かりました。夏だったら危ない所でした。
 登山道が意外に登りやすかったのは、地元の湯川内青年会社中のお陰です。刈り払いやロープの取り付け道標の設置などのご苦労が偲ばれます。だから山を荒らさないような登り方をしたいものですよ、ねえ皆さん。 休日だから、シルバーウィークだからとはいえ、頂上の人が多いのにはビックリでした。十数人いや入れ替わりで二十数人の登山客がいました。小学校低学年の姉弟?のファミリーにも途中で会いました。子供がこの山に登れるなんてスゴイと感心しました。登る時に登山口で会って、自分が下る時に森林限界で登って来るのに行き会ったのです。小学生達は登山靴を履いた足を黙々と動かし登っていました。この先に危険箇所が待ち受けているので心配になりました。頼るものが無い滑りやすい砂礫の急斜面と、頂上前の最後の登りの鎖場です。大人二人のサポートを受けているとはいえ、大人でも危険な所です。
 最近ではクレヨンしんちゃんの作者の荒船山での転落死や県内の荒沢山でも転落死がありました。自分は荒沢山の鎖場よりも焼山の最後の鎖場の方がとても恐く感じました。それは荒沢よりも鎖が古くて細いという事や、ガッチリした岩壁ではなく隙間だらけの動きそうな大岩の下を登るからというのがあるのかもしれません。
 焼山には思い入れがあったので、登れれば、登ってしまえばもう思い残す事は無い(とりあえず今年は)とまで思っていました。だから、無事登ったのに何故か征服感や達成感が沸き起こってこないのが我ながら不思議で、逆に何だか変な喪失感がありました。目標を達成して目標を失ったような燃えつき症候群か、あるいは自分が3年越しに高みに祭り上げていた焼山が、普通の登山者が大勢登りその上に小学生が登る山だった事に、マドンナを汚され落とされてしまったファンのような、複雑な気持ちになっているのかもしれません。