ガスと風の杁差。
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     2010年8月22日の気持ち

杁差岳の「杁」は本当は「木」偏に「八」と書くのだが、パソコン上は表示出来ない場合があるので便宜上「木」偏に「入」と書いているが、杁差岳頂上の標柱も避難小屋の看板も「杁差」と表示してあった。


    杁差岳頂上から下りて見る
    ガスの中の避難小屋。
2階建てで階段下に管理人室(無人=施錠)まである本格派。便所はその左に2基分(大小兼用和式)建っている。この小屋の右には前のものと思われる基礎が残っていた。側の道には大熊小屋(西俣コース)の分岐があるが道は薄そう。
 福島県耶麻郡西会津町野沢で生まれ育った自分は、飯豊というと郷愁が湧き上がってきます。もう殆ど忘れた小学校の校歌は阿賀野川と共に歌われています。年寄りは「いいでさん」というより「いいとよさん」と呼んで親しんでいました。
 山を仰ぎ見るだけでなく、地元でも昔は登山の講を組んで登る人は大勢いました。新潟県境にある徳沢駅は飯豊登山の基地になっていました。今もそうでしょうが、一時の賑わいは感じられません。数年前駅前を通った時は大分寂れた感じを醸し出していました。駅前といえば繁華街だったのですが、磐越西線沿いの駅は何処も、役場がある野沢でさえも寂れてしまいました。
 そんな風に、幼少から飯豊山は馴染みのある山でした。他県に引っ越して成長し時々山を登るようになってからも気になる山だったのは変わりません。ただ、そのアプローチの長さはどうしても小屋泊まりになり、小屋泊まりをしても軟弱な自分を跳ね返す迫力があり、飯豊登山は実現しませんでした。2000年くらいから新潟県内の山を月2回くらいコンスタントに日帰り専門に登ってきて、体力に自信が付いてきて、やっと飯豊連峰の端っこの杁差岳に登る決心をしました。
 毎回ガイドブックを参考にして登山計画を立てるのですが、ガイドブックによっては頂上まで5時間の所もありますが7時間の所もあります。2時間の開きは大きいですね。だから本当にどのくらいの時間がかかるのか分からないのです。全ての人を対象にしたガイドブックなのでしょうがないでしょうが、脚力体力にランクをつけて、そのランク毎のタイムを表示してくれると有り難いですね。
 今回は山と渓谷社の「新潟県の山」を参考にして自分専用のコースタイムを設定しました。それは「新潟県の山」の参考タイムの2割引というものです。前日車内泊は疲れるので、当日朝4時発にしました。それより早くだと前日車内泊の方がましというものです(自分の場合)。それだと朝の最終乗合タクシーの時間に間に合わないはずだったのですが、スピードを出してきたせいかちょうど間に合って6時30分のタクシーに乗る事が出来ました。そして、足ノ松尾根登山口から3時間20分で杁差岳頂上に着きました。「新潟県の山」のタイムの3割引が近い時間でしたが、これは天候が曇りだった事が好影響しているのでしょうから、また同じタイムで登れるとは限りません。
 ちなみに、下りは3時間で下りました。「新潟県の山」の下山タイムが3時間40分ですから1割5分引きが近い値です。という事は、自分は登りに強く下りに弱いという事が言えます。
 ところで、今回の杁差岳は上の稜線では花もまだ大分咲いていたのですが、上ではガスに巻かれたせいか、途中の足ノ松尾根の印象が強く残りました。ヤセ尾根の急登の足元に木の根がはびこった道は良くも悪くもこのルートの目玉です。歩いた今は、足ノ松尾根というよりも、松ノ足尾根といった方が正しいのではないかと思っています。