飯豊山11時間54分。
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     2012年8月22日の気持ち

往きが5時間52分、頂上で48分休み、帰りが5時間14分で足して11時間54分。予定と実際は往きはピタリ賞、昼食は3分超過で、帰りも6分超過。夏の暑い時期にしては良くやったと自分を誉めてあげよう。


      
    2012年8月22日(水)8時20分
   疣岩山と三国岳の間の稜線にて

飯豊山に雲が掛かって見える。道は三国岳から90度左折する。そこからはもう前方のピークに隠れ、飯豊山に上がるまでは飯豊山頂上が見られなくなる。それにしても遠い。到着は3時間22分後。
 初めての山はワクワクします。ガイドブックや地図で知った情報だけでは本当の山は分かりません。実際に歩いてみて、ああこうなっているのかと体験出来るのが一番楽しいのです。それが、自分の体力ギリギリの長い行程であってもです。
 始めての山はリタイヤしてもいいのです。それも一つの楽しい経験です。次のリベンジでまた楽しめるのですから。一回で制覇するより、その山をもっとよく知る事になると思います。だからリタイヤは怖くありません。
 さて、今回の飯豊山は懐が深い山なので前日に登山口近くまで行き車中泊してから登る事にしました。そこで自分が食事以上に重要視するのがトイレです。朝起きてすぐと食事後の2回は行きたいのです。それをしないと道中に禍根を残す事になります。
 ところが、弥平四郎登山口駐車場にはトイレが無いのです。祓川山荘のトイレは離れ過ぎています。だから、登山口に一番近いトイレがある(といっても24kmも離れている)JR徳沢駅を車中泊の場所に決めたのです。
 徳沢駅に到着したのが20時頃で駅はこうこうと街灯が灯っていました。周りに住居はありますが静かなものです。翌日は4時起きなので20時30分には寝ようとしました。暑いですが虫が入ってくるので窓は細めにしか開けられません。汗をかきながらも寝る努力をしていました。 
  何時頃か男達の話し声が聴こえるようになりました。それでも耳をふさいで寝ようとしていたのですが、終電が通った後に保線工事が始まってしまったのです。22時30分頃だと思います。そんなに大きな音ではないのですが照明もチカチカして、とても寝ていられない状態になりました。
 パンツ一丁のまま起き出して運転し、来た道をR49の方へ1km程戻り道路脇の広いエスケープゾーンのある所で車中泊をやり直しました。どうしても徳沢駅で車中泊をする必要はなかったのです。トイレだけ借りれば良かったのです。最初からエスケープゾーンで車中泊をすれば暗いから虫だって寄ってこなかったのです。失敗です。
 翌朝は徳沢駅に戻りトイレ(汲取り)を利用させてもらってから、登山口に向いました。弥平四郎集落までは分岐が幾つかあるのでカーナビを頼りに進み、弥平四郎ゲート(開)からは完全に一車線の砂利道になり、所々段差や凸凹がありスピードは出せません。対向車があったらどこですれ違うか難問です。
 弥平四郎登山口の駐車場は広く20台くらいは駐車出来そうです。今日は6台が駐車中で、今しもRVの熟年ハーレムグループ(男1人に女5人位)が出発して行くところでした。このグループは祓川山荘の先で追越し、帰り道の14時頃地蔵分岐でまた会いました。切合小屋泊りだと言っていました。
 松平峠の先の砂礫の急登ではボールペンを拾い、若い?男女に追いついて落し物を渡しました。この男女にも帰り道の13時30分頃草履塚で会いました。本山小屋に泊ると言っていました。
 三国岳避難小屋では管理人に開口一番で「日帰りですか」と聞かれ「日帰りです」と答えました。どうして分かったかというと、自分は麦わら帽子にTシャツにGパンと、自宅の裏山に登るような気軽な格好をしていたからでしょう。そういう格好の人は他には見ませんでしたね。
 格好といえば飯豊山は信仰の山ですが、白装束の人は見かけませんでした。夏は信仰登山はしないのでしょうか。月山のように9合目まで車が入り、簡単に登れる山は白装束姿の人が多かったのですが、飯豊山は簡単ではありませんからね。
 三国岳からは北に一直線に稜線をたどりますが、軽いアップダウンがあります。飯豊山は全般に砂岩が多く、道は砂礫がありしかも乾燥しているので滑りやすくなっています。七森の先の軽い下りで転倒してしまいました。不用意に靴底に力をかけてしまって砂礫の粒がボールベアリングの役目を果し滑ってしまったのです。
 右腿右側を強打し、かばった右手首付近を砂礫の粒で擦って出血してしまいました。「イタイノイタイノトンデイケ」と呪文を30秒ほど繰り返し唱えました。打撲の痛みは引いていきましたが擦過傷はヒリヒリしています。痛みで、寝不足の自分は目が覚めました。そうしてヒリヒリする痛みはなぜか涼しさを感じます。転倒前は暑かったのに転倒後はそれほど暑さを感じなくなりました。
 種蒔付近から山野草が多くなり、花を愛でる余裕はあまり無いので手当たり次第にデジカメに収めます。今日は12時間近く歩いて後半は疲れて写真さえ撮る気にならなくなりましたが、帰って見ると全部で222枚も撮っていました。記録重視で、じっくり撮れない瞬間撮影なのでピンボケもあるでしょう。
 歩き始めてちょうど4時間の切合小屋までで、これまたちょうど1リットルの水を消費しました。全部で2.5リットルしか持ってきていなかったので先行き心配になり、小屋前のホースで引かれた水を貰って空いたペットボトル(500cc)2本に補充しました。これは本当に助かりました。
 自分は生水は飲まない主義で、500cc1本の水は頂上で沸かして味噌汁やコーヒーにしたのですが、残り500ccの半分は水道水が無くなり結局生水で飲んでしまいました。腹痛などはその後ありません。
 切合小屋辺りからは日陰が無くなるのですが、高度が上がったせいか雲が出てきたせいか、日向でもあまり暑くなくなりました。広い鞍部で草原のようになり山野草が沢山で歩く度に現れる光景に疲れを忘れます。
 しかし、草履塚の先の下りは折角上ったのに勿体ないと思うほどです。姥権現に挨拶し御秘所の岩場を抜けた先に御前坂が立ちふさがります。急な坂は浮き石が多く足元に要注意です。緑のナイロンロープとペンキマークが下を向いて黙々と歩く自分の道標です。ギアをスーパーローに落としてゆっくり着実に休みなく上がりました。
 坂を上るとケルンがある少し平坦な賽の河原のような場所に出ます。御前坂の上に見えていた石垣は通るルートになく、かといって寄道して何であるか確かめる余裕はありません。先を急ぎます。
 やっと本山小屋に到着すると閑散とした雰囲気です。管理人と連泊?の人の2人しか見えません。挨拶をして頂上を目指します。軽いアップダウンの先に道標が見えてきました。やっと飯豊山頂上ですが、ガスで眺望はゼロです。
 赤トンボが群れています。先客2人はすぐに御西岳方面に下って行きました。こうなると自分一人が頂上を独り占めです。ガスがあって風が弱いのでここで昼食です。他にも何人か頂上を行き来しましたが長居をする人はいませんでした。
 昼食中は赤トンボだけではなくハチやチョウやカミキリムシやチョウの顔でハチの身体をした虫とか一杯寄って来て身体にとまります。オレは昆虫のアイドルか。寄って来るのはいいけれど、味噌汁に飛び込むなよ。パンを食べていたらパンにもハチがとまります。クリームをなめています。自然食品じゃないけど大丈夫?
 刺されもせず殺しもせず自分と昆虫の蜜月状態は48分で終りました。イヤだけど同じ道を帰らなくてはなりません。日帰りですから。
 帰り道こそが自分の体力を試す場となるのです。疣岩山までは稜線なので見る楽しみがあって疲れを紛らわせます。疣岩山から松平峠への砂礫の急下降は、「危険、危険、危険」と頭が一杯でした。
 しかし松平峠から登山口までは見る風景は同じで、ただ足を動かすだけです。楽しい事が考えられません。拷問されているような気分です。これはシジフォスの罰か、だったらシジフォスの気持ちになり粛々と歩くか、いや、シジフォスよりはましだろう。いずれ登山口は来るのだから。
 歩かなければいけない事は分かっているのに、こんな理不尽で楽しくない気持ちになってしまいました。山は肉体だけでなく精神修養の場なのですね。でも、終ればこんな苦しさなんてすぐに忘れてしまうのです。