風邪年度越亜冬眠。
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    2014年1月6日の気持ち

曜日に関係のない仕事をしていると、何曜日だか分からなくなることがあります。年末年始もローテーションで勤務していると年が明けた気分がしません。メリハリがないよー。早く風邪も治したいよー。


    2013年6月24日11時31分
       野々海峠にて
 まだ、雪から出たばかりの色薄いフキノトウ。現在の自分の心境を表しています。これからフキノトウらしくなるのですが、自分もこれから自分らしくなるでしょう。なんてね。
 いくら、正月気分になれない、新しい年を迎えた気がしないと自分が言っても、大多数が新年になったと思っているのですから、ここは一つ自分も平成26年で2014年でもある今年の所信を表明したいと思います。
 平成26年という年については、自分の生まれ年が昭和26年なので何だが他人のような気がしません。ひょっとしたら自分の中の何かが生まれる年かもしれません。或いは自分の没年になるとか(縁起でもありません)。
 今年、自分は63歳になるので、昭和と平成の間では63年の差があるということですね。実際は昭和の前の大正が15年(1926年)12月25日までで昭和は64年(1989年)1月7日までなので、62年と十数日が昭和時代だったのです。
 自分は何歳まで生きられるのかと思いますが、幾つまで生きたいという希望はありません。生かしてもらえるなら幾つまででも結構ですと思います。何をしたいというものも特にありませんからね。登山が好きですがエベレストに登りたいなどとは思いませんから、老化しても体力に合わせた山歩きが出来ればいいと思っています。
   いくら、正月気分になれない、新しい年を迎えた気がしないと自分が言っても、大多数が新年になったと思っているのですから、ここは一つ自分も平成26年で2014年でもある今年の所信を表明したいと思います。
 平成26年という年については、自分の生まれ年が昭和26年なので何だが他人のような気がしません。ひょっとしたら自分の中の何かが生まれる年かもしれません。或いは自分の没年になるとか(縁起でもありません)。
 今年、自分は63歳になるので、昭和と平成の間では63年の差があるということですね。実際は昭和の前の大正が15年(1926年)12月25日までで昭和は64年(1989年)1月7日までなので、62年と十数日が昭和時代だったのです。
 自分は何歳まで生きられるのかと思いますが、幾つまで生きたいという希望はありません。生かしてもらえるなら幾つまででも結構ですと思います。何をしたいというものも特にありませんからね。登山が好きですがエベレストに登りたいなどとは思いませんから、老化しても体力に合わせた山歩きが出来ればいいと思っています。
 日本人の平均寿命は、古い記録ですが1999年で80.9歳で世界一でした。平均健康寿命というものあって、これはアメリカで提唱されたことで、心身ともに大きな異常がなく、食事や入浴など日常生活動作を自分で行いながら生存できる期間をいいます。これも1999年当時、日本は74.5歳でこれも世界一でした。今はもっと延びているでしょう。
 自分がピンピンしていられるのがあと13年程度だと思うと寂しい気もしますが、欲張ってはいけませんよね。それまでには死ぬ覚悟をつけて老醜をさらさずにコロリと死ねたらいいですね。せめて願うのは親よりも長生きすることです。それ以上はオマケみたいなものです。
  死というものは少しずつ身体に沁み込んでいくように思います。例えば髪の毛が少なくなったり、白くなったり、体力が落ちたり、しわやしみがついたり、身体のあちこちが痛くなったり、そういうもので少しずつ死に近づいて行くのだと思います。
 逆にいつまでも若々しい人は、生に対する執着が人より大きいかもしれません。だから、老化は人間に与えられた穏やかに死ぬための麻酔薬なのではないかと思います。

 自分のことは大丈夫ですが、思うようにならないのは他人や世の中のことです。よく街頭インタビューで聞かれていますが、自分は政治や行政に期待することはありません。逆に政治や行政に期待されることもありませんから50:50ですね。
 自分のような低層の庶民は現状をそのまま受け入れ、自分なりに工夫して生きるしかありません。でも、こうなったらいいなと思うことはあります。以下に思いつくままに書いてみました。
 一つは、首相を自分の投票で決められたらいいなと思います。大統領だろうと何だろうと名前はどうでもいいですが、そうなれば自分の考えが反映される気がして楽しいですよね。
 もう一つは、市議会議員や県議会議員を廃止することです。彼らは首長がやることの承認機関になってしまっています。首長をチェックするにはもっと効率の良い方法を考えましょう。
 あとは、公務員は政治家になれないという法律を作ることです。公務員が政治まで牛耳っています。両者は対立しているべきです。政治家になりたい者は最初から政治家を目指すべきです。
 公務員は、その収入の一部を購買に使うよう強制する法律を作る。給料やボーナスを一部を商品券で払う。全国の公務員全員が景気浮揚の一助になる。景気の悪いときは自ら消費に走るのが公僕として当然なのですが、公務員は恵まれているのに溜め込む人が多い。
 今現在、東京だけが税収で潤っています。この税収の地方との格差を公平になるようにするべきです。これは一票の格差よりも大事です。東京だけが浮かれ騒いでいるこの状況を、地方人は苦々しく思っているんですけど。
 道義的にも東京にこそ核のゴミ捨て場を作るべきだと思います。原発は壊れて放射能を撒き散らしましたが、核のゴミを封じ込めることなら難しくはないでしょう。新しい国立競技場は大きいそうですから、その地下深くに作ったら如何でしょう。そこには何十年も放置されていた人形峠のゴミをまず入れて下さい。
 最近、沖縄の基地問題で知事が今までの考えを変えて県内移設を認めました。これが現実的な方法なのでしょう。自分のような部外者には分かりません。しかし、沖縄県民が自分で決められるような体制になっていないことが不幸に見えます。沖縄は今までの歴史からいっても問題を放置された時間からいっても、独立するかあるいはせめて自治区として自立する権限を持つべきだと思います。
 沖縄の中ことを沖縄人が東京にまで行って陳情するというのはおかしいと思います。東京の政治家が沖縄に行ってお願いするのが筋だと思います。その上でアメリカとの折り合いを付けるべきだろうと思います。日本の中央の意向に沖縄を従わせているのは、同じ日本人としてとても心苦しく感じます。
 沖縄の人もそうだけれどアイヌの人にも幸せになってもらいたい。民族として自立した生き方が出来るよう、日本人は罪滅ぼしをするべきだと思います。
 と、思うままに書いてみましたが、言い足りないこともあります。実現困難な事が多いでしょう。でもかつて外圧で変わった日本がありました。日本はまた外圧を起爆剤として変われるかもしれません。良いか悪いかは分かりませんが、それを死ぬ前に見れたら本望です。
 思うことはいくらでも空想の羽根で飛び回れますが、地に足をつけた現実はそれほど軽やかではありませんし予想もつきません。よく言われるのが、何ごともやってみなくては分からないということ。
 料理なら食べてみる、ゲームならやってみる、服なら着てみる、靴なら履いてみる。バイクなら乗ってみる、人なら付き合ってみる、山なら登ってみる。
 そう、今年も知らない山や知らないルートに挑戦していこうと思っています。筋肉痛に足を引きずって、息を切らして、頼りない草を掴んで身体を押し上げる。クマを恐れ、ヤマヒルを恐れ、スズメバチから逃げ、アブに刺され、そんな泥臭い登山が自分は好きです。