越後古道銀の道。
163
    2016年9月10日の気持ち

 「遠い 遠い はるかな道は」で始まる「銀色の道」という曲があります。昔、ダーク・ダックスが歌ってヒットしたのですが、知りませんか。その歌詞のように「ひとり ひとり 今日もひとり」でした。今度久しぶりに歌ってみようかな、一人カラオケで。

    2016年9月10日12時44分
      大明神の分岐にて

 右が駒ノ湯への銀の道。奥が大明神の前を通り左に行って上ると明神峠。背後が枝折峠への道で、これから下る石抱橋への銀の道の分岐がある。ここは枝折峠から越後駒ヶ岳への途中にある。
 ヒマがあると、まだ歩いていない山やコースを探してガイド本を見直したり、地図を眺めたり、ネットを検索したりしています。でも、なかなか未踏で手頃なものがありません。
 今回思いついたのは「銀の道」です。まだ歩いた事がありません。前から知ってはいたのですが、越後駒ヶ岳の枝折峠ルートの陰で存在が薄れていました。
 「新潟日帰りファミリー登山」を読み返したら近くの道行山を入れて手頃な周回ルートが出来るではありませんか。
 「銀の道」は銀山平の石抱橋から大明神に上がって駒ノ湯近くの坂本に下る、方角としては東南から西北に伸びる道です。
 今回は道行山に登ってから越後駒縦走路を大明神まで行き、そこから石抱橋に下りるという「銀の道」の半分です。
 往きには道行山の登山口を見落として時間をロスして、計画の達成も危ぶまれたのですが何とか完歩しました。
 下記は、石抱橋(一合目石抱)にあった「銀の道」の解説板(上記画像)から拝借しました。(手抜きで済みません)
   平成十五年度指定
    湯之谷村文化財

    銀の道(旧枝折峠)

 「銀の道」は平安末期、長寛元年(1163)尾瀬三郎房利卿が京を追われ、尾瀬に逃げ延びた道としての伝説を持っている。それから約五百年後、銀山が発見され、銀を運ぶ唯一の道であった。銀山最盛期には一万数千人が行き来し人馬の絶えることがなかったという。
 人の汗、馬の汗、遊女の涙…さまざまな人間模様が刻まれ、どれほどの汗や涙を吸ったことだろうか。
 登り口は、口留番所のあった駒ヶ岳山麓の駒ノ湯近くの、坂本から始まる。坂本〜枝折大明神は標高差九百mで、延長約八km、眺望の良い所、水場など、自然と一服場が生まれ、人々の語らいの場となっていた。また、問屋場には、季節遊女までいたという。
 血と汗と涙で踏み固められ、銀鉱町と共に栄枯盛衰の歴史を刻んだ道である。
 一合目 石抱(いしだき)
 ごう問所があった所。膝の上に重石を積んで自白を強要した。
○漁の監視所(立派)あり。常駐(白犬も)。水洗トイレあり。

 二合目 榛ノ木(はんのき)
 榛の巨木がそびえていた。
○ここまで林道で分岐。この先山道。狭いトラバースあり。

 三合目 オリソ
 降りる沢。
○林道分岐。帰りは林道からR352(ゲートあり)へ出て戻る。

 四合目 十七曲り
 つづら折りの坂道。

○974mピーク
 一旦下って上がる。崩落もあり。

 五合目 松尾根
 松の巨木が繁っていた。

○R352コンクリート法面上
 R352に近いが下りる道不明。銀の道が工事で削られたようだ。

 六合目 ブナ坂
 ブナの大木が両側に、繁っていた。

 七合目 焼山
 当時の山火事で、一帯が焼け果てたことから。

 八合目 水場
 定かに水場の跡が確かめられ、清水がいまも湧く。

 九合目 問屋場
 問屋場で季節遊女までいた。
○分岐から近い。

○縦走路分岐
 銀の道表示あり。

 十合目 大明神
 山仕事や銀山普請の安全を願って、木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)命をまつってある。

 九合目 日本坂
 日本中が見渡せるほどの展望。

 八合目 仏堂(ぶつどう)
 お堂があり、多数の仏像が安置されていた。

 七合目 千体仏(せんたいぶつ)
 多数の仏像を安置したところから。

 六合目 中ノ水
 付近一帯をこのように呼んでいた。

 五合目 半腹石(はんぷくいし)
 峠の頂と麓の中間点。

 四合目 水函(すいかん)
 湧き出す水を箱にため、水場とした。

 三合目 楢の木(ならのき)
 水楢の大木がそびえ、格好の休憩所であった。

 二合目 目覚し(めざまし)
 芋川宿を早立ちすると、ここで夜が明けることから。

 一合目 坂本
 峠のはじまり。

 銀の道全行程 約12km

 銀山平 標高776m
   ↓
 上り約2時間、下り約1時間40分
   ↓
 大明神 標高1236m
   ↓
 上り約3時間、下り約2時間10分
   ↓
 駒の湯温泉 標高370m

             魚沼市教育委員会

(注)写し間違いがあったらお許しください。他に地図もありました。
(注2)○印は自分が付け足しました。


 解説板を見て、石抱の意味にビックリです。時代劇で見る事はあっても実際にやっていたなんて。銀山とは専制的な閉鎖社会だったのですね。江戸時代ですからね。
 「銀の道」を人や馬が通った生活道路と考えると、思ったほど歩き易くは無かったです。かと言って歩き難いという事も無く、鎖場やロープ場こそ無かったですが、普通の山道ですね。崩落が所々あったり道が雨に削られ雨どい状になっていたり、経年変化は仕方ありません。
 今回は東南部の半分ですが、次回は小倉山周回で西北部を歩いてこようと思います。次回は「銀の道」だけが初のルートなので間違う事は無いと思いますけどね。
 越後駒の縦走路は大勢が歩いていたのに「銀の道」では誰にも会いませんでした。この時期でもヤブが無かったですから、これからの紅葉のシーズンに歩いてみては如何ですか。
 仲間で車2台を使えば1度で歩けますが自分のようなお一人様はムリです。そこで、日曜祝日でしかも期間限定(10月16日まで)ですが、1日1本のバス(南越後観光バス)がありますよ。