丹後山の笹原。
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    2016年10月11日の気持ち

 今日は平日というのに7人の登山者に会ったが、同じぐらいの時間をかけるのなら越後三山の盟主の中ノ岳にも登れるというのに、わざわざここに来るというのは笹原を見に来るのだろうか。


    2016年10月11日11時47分
      丹後山頂上の笹原

 丹後山避難小屋のすぐ隣の小高い所が丹後山頂上。左に見えるのは兎岳。もっと左に頭を向けると中ノ岳、八海山が見える。

 林道ゲートから丹後山までガイドブックで5時間で、自分は3時間ちょうどで登りました。3時間というのは立てた計画通りです。9年前に登った時が2時間56分でしたからほぼ同じです。
 自分は3時間の間、手帳にメモを取ったり写真を撮ったり水分を補給したりした以外は立ち止まりませんでした。まあその時が休んでいたと言えるのですが。
 勿論他では標高が低くても苦しい山があって何度も休む事がありました。今日は季節、気温が登るのに有利だったのだと思います。
 それにしても3時間です。普通に考えると気が遠くなってしまいます。自分でも他の事を3時間も連続してやるという事になると想像がつきません。
 登山を始めた若い頃は山に登る事が苦しくて、文字通り足が棒になってガイドブックの時間より多くかかったものです。
 山に慣れて来たのは2000年を過ぎた頃、つまり50歳を過ぎた辺りからなのです。前は山に飲まれていたのですが、つまり山に恐れを抱いていたのですが、飲まれなくなったのです。そしてガイドブックの時間より早く登れるようになりました。
  自分の体力に自信を持ち、敢えて過信を許して山に登るようになったのです。そうすると気持の上では楽になりました。でもいつか遭難するのではないかとの危惧も心の底にありました。
 実際、幾つかヤブこぎ同然の山を登って、自分の位置を見失って大幅に帰宅時間を過ぎた事もあります。ルートを外れ沢の雪渓の上を渡って後から底が抜けなくて良かったと胸を撫で下ろした事もあります。
 山の中に一人でいる時と、山から下りて街にいる時の自分の環境の相違に自分が感じる変な気持、うまく表現できませんが、そんな所が好きなのかもしれません。
 熊に遭ったり、マダニに取付かれたり、ヤマヒルに吸われたり、アブの集中攻撃で血をダラダラ流したり、ドクガの幼虫に刺されたり、スズメバチから逃げたり、マムシとの遭遇は日常茶飯事だし、サル、カモシカ、イノシシ等にも遭いました。
 そういう無謀を50歳を過ぎてからやって来たのです。登山を教わった事の無い素人の無謀です。しかも全部単独行です。
 去年辺りからもう限界かな(自分の)と思うようになりました。
 あれっ、なんだこれは山懺悔か。そうじゃないよ。山に登る3時間の持続力の源を言おうと思ったのに。
 普通なら3時間も歩く事はありません。それも往きだけの時間です。帰りもあるのですからね。帰りは誰かが登山口まで乗せていってくれる訳ではありません。自分の足で歩かなくてはなりません。
 先を考えると気が遠くなるのですが、自分は考えないのですね。苦しい登りの時だけ時間が過ぎれば頂上にいると思って歩いています。
 実際、自分でも不思議です。登った山は苦しかったはずなのに、残った記憶は全然苦しくありません。そう思えるから登山が楽しいのですね。何度も登れるのでしょうね。
 という事は、脳に幸福物質が分泌されているのだと思います。これが麻薬性があるのです。肌にしみが出来ようが、足の爪が惨めになろうが山に登ってしまうのです。
 自分はまだ自分をセーブ出来ています。でも、毎週山に登ったり、百名山を目指したりしている人は要注意です。膝が悪くなるまで登る運命に見舞われます。
 五感は山でも使います。視覚は景色を見て楽しみ、或いは発見した動物との距離を保つ。触覚は鎖場の鎖、木の枝、沢の水を触った感触や、登山靴で踏みしめる地面の感触や、自分に当る風の強さや温度を自分の行動に生かします。聴覚は鳥や虫の声、動物の物音にギクリとし、ヤマバトのホロ打ちに驚いたりします。味覚は自分は山の実や沢水を味わう事が無いので、頂上での満足感の中の昼食です。嗅覚はヤマユリの匂い、草の匂い、水の匂い、そして糞の臭い。生きている実感がありますね。
 そうですね。登山は自分が生きていると感じる事が出来るのですね。登山は楽しいだけでなく、苦しいから危険だからこそ魅力があるのです。個人的感想ですけど。
 登山はただ感じるだけで利益はありません。自分を頂上まで持ち上げて貯めた重力エネルギーは無駄に少しずつ放出しながら下山するのです。これは無私と言える行為に近いではありませんか。宗教臭いですか、山と宗教は縁がありますからね。
 まあ、登山は各人がそれぞれの理由で登るのでしょうが、人生を充実したものにしたいという願いを叶えるものではあると思います。要するに今で言うリア充ですね。
 アルバムの写真には高校三年生の夏に仲間とテントに泊まってワインを飲んで志賀高原を歩いた時のものがあります。思えばあの頃が自発的にした登山の初めだと思います。菊池君、近藤君元気ですかぁ。
 山とは、あれからブランクがあったり登ったりと断続的な付き合いですが、2000年頃からはコンスタントに登るようになりました。水泳を始めて体力的にも強くなりました。でもこの先は寄る年波には勝てず体力低下に似合った山に登るようになるでしょう。
 俺は登山は止めない、多分止めないと思う、止めないんじゃないかな、ま、ちょっと覚悟はしておこう。