低くて近い八海山。
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    2017年7月27日の気持ち

 車を使えば5分で上れる八海山。それが木津八海山。でもちゃんと六日町の八海山からはご託宣を頂いているようです。小千谷の山寺山のついでに足を延ばしてみました。山寺山から先は殆ど林道歩きです。帰りはヤブの山寺山がイヤで林道を戻りました。

    2017年7月27日11時58分
       木津八海山頂上

 石碑によると元は井盛山といったが、雨乞いの為、南魚八海山里宮の許可を得て木津八海山と名乗るようになったという。8月31日が祭りと書いてあるがその時は草刈りをするのだろう。
   木津八海山の碑
 
 この八海山は木津町内最高の山標高三〇四米で明治の初めまで井盛山と称した。
 ここは今からおよそ千二百年前南魚八海山信仰につながる羽黒信仰の行道として修験道の拠点とした聖地である。
  明治元年五月戊辰戦争の際この山上に陣をしいた西軍は、野辺川をへだてた東方蘭木の薬師の森一帯に立籠もる東軍の会津方と?九日間激しい銃砲戦を交いた古戦場である。
 下って明治?年地元堀沢久七翁(六郎右エ門家先祖)が、木津が高??水の便が悪く田畑は旱魃になると不作になるので平素雨乞の神として上田の八海山を信仰していた。
 然し余り遠くなので何とか近くに八海山を祭りお祈りしたいと考え、南魚八海山の里宮の許可を得て、この井盛山の頂上に分社を勧請し雨乞に熱心な村人と協力して以後毎年八  月三十一日の夜お祭りをつづけた。その効験に依り後に木津大堤の水も保ちえる様になり、この事から井盛山を八海山と呼ぶ様になった。 第二次世界大戦後物資不足
に依り一時お祭りも中止したが昭和三十年頃復活の義が起り、お祭りは六郎右エ門家より町内役員に引継がれ昭和四十年頃より他町内や市外の人々も、多く参詣し年々盛大となり近年山上に祠も出来、石段も完成し、現在市内信仰の名所となっている。

○注
 木津八海山の縁起を記した石板の碑文をデジカメ画像から写しました。そのままの行文です。ただし実際の碑文は縦書きです。撮り方が悪く読めない字もあり「?」となっています。その他の誤字脱字については予め謝罪しておきます。
 この後に「記」として石碑についての事が書かれています。石碑は昭和61年に作られたようです。ただ、文全体が判読し難いので省略しました。詳しくは行った時に見て来て下さい。

○遠足のお勧め

 自分は極楽寺から山寺山経由で木津八海山に来ましたが、山寺山付近がヤブなので、お勧めは小千谷のちぢみの里から林道を歩いての遠足が良いでしょう。
 車で来て5分で上るのも味気無いですから、林道の景色を楽しみながら、粗大ゴミを捨てる奴がいないかパトロールをしながらのんびり歩くのが良いでしょう。
 夏でも要所要所に日陰がありますが、秋の方が景色を楽しめるかもしれません。
 戻ってからちぢみの里でお風呂にも入れますしね。余裕があれば、帰り道は木津集落周りで戻るのも一興かも知れません。

○コースタイム

 ちぢみの里(道の駅)
  ↓
  40分 砂利林道
  ↓
 山寺山分岐
  ↓
  25分 砂利林道
  ↓
 林道稗生木津線分岐
  ↓
  30分 舗装林道(途中で分岐あり)
  ↓
 木津八海山(標高304m)

(ネットにあった一般的な時間)

○後記
 木津八海山の頂上からは東西に開けていて、西を見るとR17の小千谷大橋が見えたのは意外でした。野辺川が信濃川に合流する所なので山が切れているからでしょうね。東の下方に集落が見えているのですが、地図によるとこれは木津ではなく、荒谷のようです。木津集落の人が苦心した山なのに残念ですね。
 林道で迷う事は無いと思いますが、分岐があったりするので一応地図を持って行った方が良いでしょうね。クマ避けグッズもお持ち下さい。錦鯉の養魚池はありますが水場はありません。水も必携です。
 地図上には八海山と表記されているので、八海山に登って来たよと言えば「あんな険しい山に!」と一目置いてくれるかもしれません。ウソではありませんからね。標高は言わないでおきましょう。